倫理は頭で理解せよ。心で理解するもんじゃない

倫理観はあった方が良いだろうか。ほとんどの人は「あった方が良い」と答えるだろう。だが、本当にそうだろうか。下の図を見てほしい。

f:id:D231618130:20210728223933p:plain

倫理は心で感じる方法と頭で考える方法がある。心で感じるとは、人を想う気持ちを基盤として、人の幸福を心から願うことだ。頭で考えるとは、ロジックで分析的な視点に基づき「こういう行動が倫理的に正しいな」と判断することだ。

私の考えでは、倫理は頭で理解した方が良い。その一方で、心で感じるのはほどほどにした方が良い。理由は以下の通りだ。

まず、倫理を頭で理解しなければ、人に無用な迷惑をかける可能性がある。心でも頭でも分かっていない人が他人に迷惑をかけるのは当然だ。ただし、「倫理を心では理解しているが、頭ではあまり分かっていない」人もまた迷惑をかけうる。こういう人は同質的な仲間に対しては情に篤い反面、自分と異なる性格・境遇の人に対する想像力に欠ける傾向がある。一般に、自分と近い人に対する想像力は知的能力に相関しないが、自分と遠い人への想像力は知的能力と相関する気がしている。特に多様性が主張される現代社会においては、倫理を頭で理解する能力はますます重要になるだろう。

では、なぜ倫理を心で感じてはいけないのか。それは、ストレスを溜めやすくなるからである。倫理、道徳、道義、責任、誠実などを重んじる人は、他人の非倫理的行動に対して怒りや悲しみを覚える傾向がある。その感情が問題解決に向かえば素晴らしい。一方、自分にはどうにもならないことにネガティブ感情を覚えてはいないだろうか。また、その場にいない人の悪口のような、直接的には誰も傷つけないことに対してネガティブ感情を覚えてはいないだろうか。それは、損だ。自分の行動で損害が回復されるなら素晴らしいが、直接的に被害をもたらさない行動や自分にどうにもならないことに対して怒りを覚えても仕方がない。人生は幸福最大化ゲームであるから、幸福を毀損する価値観は修正することを検討しても良いかもしれない。むろん、本人が困っていなければ何も変える必要はない。

d231618130.hatenablog.com

 

以上をまとめると、「倫理は頭で理解せよ。心で理解するもんじゃない」となる。頭で理解しているから倫理的行動をとれる。心では理解していないので余計なストレスを溜め込まず、必要に応じて合理的な対応がとれる。

 

P.S. サイコパスは人の気持ちを頭では理解するが心では何も感じないといわれる。となると、悪いことをしないサイコパスは最強ではなかろうか。本人も周囲もとても過ごしやすいだろう。

研究者視点での幸福最大化

人は先天的な性格や後天的な環境に応じて視点、観点、ものの見方、捉え方を形成していく。もちろん研究者には研究者特有のものの見方がある。これを人生に応用すれば幸福達成に寄与できるかもしれない。この記事の目的は、研究者特有の視点を用い、幸福達成のための考え方を示すことである。

 

まず一般論から入ろう。研究者は下のようなものの見方をするかもしれない。 

f:id:D231618130:20210728215545p:plain

XがYに影響を与えているとする。もしYが重要なら、「Xを適切に操作することで所望のYの値を実現しよう」という発想に至るだろう。一般向けの表現だと、所望のYを実現するための「コツをつかむ」「ポイントを知る」あたりだろうか。

 

さて、人生の目的は幸せになることである。なのでYに幸福度を代入する。(そんな一語で表せるわけがないとの批判もあるだろう。しかし、人生に目的があるとすればそれは感情に関わるものであろうから、端的に「幸福」と表現しておく。)

f:id:D231618130:20210728220112p:plain

幸福度に影響を及ぼす因子は何であろうか。様々考えられるが、大きく分けて内的要因と外的要因がある。

内的要因は価値観や視野の広さなどだ。土曜の夜に「休日があと半分しかない」と思えばブルーになり、「まだ半分もある」と思えば気分良くなるようなものだ。内的要因の重要性は経済学のプロスペクト理論でも主張されている。この理論の主張の一つは、「実態が期待を上回れば幸福を感じ、下回れば不幸に感じる」ということだ(cf. 参照点)。すなわち、幸福度は事前の期待に依存するということだ。だから他者や物事に期待しないことが大事と言われるのだ。

外的要因は環境や状況などだ。これによって幸福度が左右されることは皆知っているのでこれ以上言及しない。

これら内的要因と外的要因が幸福度に影響を及ぼす。したがって、内的要因と外的要因を適切に操作して幸福最大化を目指せばよい。・・・確かにその通りだが、多少の注釈が必要である。

f:id:D231618130:20210728220841p:plain

価値観などの内的要因はアイデンティティや個人の存立基盤に関わる重要でセンシティブなものである。なので全てを変えるわけにはいかない。譲れないものもあるだろうし、むしろあるべきだ。ただ、全てを譲れないわけでもないだろう。価値観には譲れるものと譲れないものがある。それを適切に見極めるには、普段から自分の内面に向き合う癖をつけると良いかもしれない。「自分が何を思い、何を考えているのか」と折に触れて考えるのだ。また、クリフトンストレングス(ストレングスファインダー)、MBTI、エニアグラムなど、人の性格を体系的に述べたツールについて学ぶことも有効である。そうすれば人の価値観をおおよそ網羅できるので、自分の価値観を相対化できるだろう。これを繰り返すことで「ここは譲っても良い」「ここは譲れない」という線引きが少しずつ見えてくるかもしれない。

また、外的要因には変えられるものと変えられないものがある。職場を変えることは(多くの場合に)可能だが、自分の生まれた年や場所、環境を変えることはできない。2020年度の高校3年生は修学旅行に行けないだろう。第三者が偉そうに言うことではないが、こういう変えられない部分は受け入れるより仕方がない。その一方で、変えられる部分についてはどんどん変えればよい。「男だから」「女だから」「もうこんな歳だから」「まだ若いから」「自分はこんな性格だから」などと諦めてはいけない。人生は幸福最大化ゲームであり、全ては幸福最大化のために設計されるべきだ。年齢、性別、性格などに囚われて己の可能性をふいにする行為はおそらく幸福最大化に繋がらないだろう。

 

この記事の内容は当然のことが多かったかもしれない。また、具体的な話をほとんどしていないので、「だから何やねん」と言いたい人もいるだろう。それでも、この記事には以下のような価値があると考える。

  • 幸福を実現する上で内的要因の重要性を指摘したこと
  • 今後様々なことを主張する上での理論的支柱になること

この記事を本ブログの他の記事と紐づければ、見えてくるものもあるかもしれない。

人生はマニュアル化できる

誤解を恐れずに言おう。人生も仕事も人間関係も、みんな技術だ。気持ちではない。技術だ。

より正確に言おう。物事は80点まではマニュアル化できる。つまり、技術として習得できる。「結局は人それぞれ、相性」って全くその通りだが、それは100点を目指すならである。80点までは教科書的に習得することが可能だ。基礎を完璧に固めるだけで相当遠くまでいけるのは受験勉強と同じだ。

それを分かっていない人が「人生は経験だ」などと言い出す。違うだろ。あなたは数学を学ぶとき、まず定理や公式を覚えただろう。そして意味も分からないままその公式を問題に当てはめて解いたのではなかろうか。そして、場合によっては後から公式の意味が分かることがあったかもしれない。

人生も同じだ。人生で大事なことは教科書にまとめておくべきだ。そして公式として丸暗記する。むろん、その時点では本質を理解していなくてもよい。とりあえず覚えることが大事だ。そして目の前の問題に適用するのだ。そうやって演習を積み重ねるうちに人生における考え方・行動の仕方が板についてくるし、公式の本当の意味が分かることもあるだろう。繰り返すが、人生で大事なことはまず丸暗記するのだ。それを現実の問題に適用する方が遥かに効率が良い。「何ヶ月も数式いじってたら二次方程式の解の公式を見つけたわ」「すごいですね、さすが年の功ですね」なんてやってたらアホらしいだろう。でもこんな事態が人生分野ではまかり通っている。「年長者の含蓄ある言葉」などと銘打って。あなたのその考えは往々にして偏っているうえ新規性もないのですよ。だって人間の言うことってだいたいパターンが決まってるじゃん。

では、人生の教科書はどこにあるだろうか。私は心理学に求めるのが良いと考えている。心理学を学べば「人間はどんな価値観を持っているか」「どんなパーソナリティがあるか」「どんなパーソナリティの人はどんな場面でどう感じどう考えどう行動しやすいか」などのヒントが得られる。そういった知見を目の前の人生に生かすのだ。そうすることで効率よく視野が広がるし、最速で人格的成長を達成できるだろう。心理学のどの分野を学べば良いかは次以降の記事に回すことにする。

ぼくの天才エピソード

◯生活

  • トイレットペーパーがなくなる前に新しいのを買うことができる。
  • うんこできる。
  • インターネットへの接続方法が分かる。自宅PCだけでなく、スマートフォン、またインターネットカフェでも!
  • オンラインショッピングが利用できる。

 

◯言語

  • 日本語が聞き取れる。
  • 日本語がそれなりに話せる。
  • 英語がそれなりに聞き取れる。
  • 英語がそれなりに話せる。

 

◯内面

  • いろいろ考えることができる。

 

◯専門

  • 微小領域での保存量の収支に基づいて微分方程式を導出する考え方が理解できる。
  • マルチスケールの現象の数値解析をまともにやろうとすれば大量のメッシュが必要になるから細かい現象は適切に粗視化する必要がある、ということが理解できる。
  • フーリエ解析のさわりを理解している。

 

仕事は受験勉強と同じだ

仕事はパターンを覚えればある程度なんとかなる。受験勉強と同じだ。受験勉強では公式を覚え、目の前の問題に適用しただろう。また、典型問題の解き方を覚えて使えるようになるだけでかなりのレベルに達するはずだ。仕事も同じである。公式を覚えて目の前の問題に適用することが大事だ。仕事の公式には例えば以下のようなものがある。

  • 一人で考えても永久に分からなさそうだったら、詳しそうな人に早めに頼れ
  • 目的を認識して現状を把握して課題を抽出し、対処法を考えて行動に落とし込め

こういった公式を知り、問題に応じて適切に使い分けることが重要だ。それだけでかなり仕事ができるようになるのではないかと思う。

ただし、仕事と受験勉強には違う点がある。具体的には、仕事は下のような要素も含んでいる。

  • 問題が明確に与えられていない
  • 試験範囲が明確でない

学歴と仕事能力はイコールでないのは自明だが、もしこれらの点がクリアされれば(する必要があるとは言っていない)イコールになるかもしれないな、と思う。知らんけど。

なぜ人の行動をジャッジする際は意図も重視する必要があるのか

公理1: 人生は幸福最大化ゲームである。

公理2: 人は自分のことを想ってくれてることが分かるとそれだけで嬉しくなる(たとえ実益がなくても)。逆に、人を尊重しない言動や行動に触れると嫌悪感を催す(たとえ実害がなくても)。

 

定理1: 人の行動をジャッジする際は意図も重視する必要がある。

(証明)善意に基づく行動に触れた場合、公理2より嬉しくなる。公理1より、人を嬉しくする行動は人生の評価値を上げるので、善意に基づく行動は人生のルールにかなう行動といえる。逆に、悪意に基づく行動や配慮のない行動に触れた場合、公理2より嫌悪感を催す。これと公理1より、こういった行動は人生の評価値を下げる行動といえる。以上より、行動の意図は人生の評価値に影響を及ぼす。(証明終)

 

 

P.S. 善意か悪意かを感じ取るセンサを愛情センサと呼ぶ。公理2で言っているのは「愛情センサの表示値は感情に直結する」ということだ。そして、公理1で言っているのは「感情は人生の評価指標であるから寄与する因子を考えるべき」ということだ。

「幸福最大化ゲーム」の功罪

あなたは人生や対人関係をどのように理解するだろう。感性で理解するのが一般的かもしれない。私はそれで上手くいかなかったクチなので、人生を理性で捉えることを提唱している。

すなわち、人生を理解する軸は「感性」「理性」の2つがある。これを整理すると下のようになる。

f:id:D231618130:20201206134809p:plain

図の上半分は人生を感性的に理解した状態を表す。逆に、下半分は感性では理解できていない状態だ。図の右半分は人生を理性で理解した状態、左半分は理性で理解できていない状態である。

私のようなオタクは人生を感性でも理性でも理解していない可能性がある。その意味で図の左下に位置する。一方、マイルドヤンキーと呼ばれる方々は対人関係の情緒を解する反面、それを体系的に説明することはあまり得意ではないかもしれない。つまり人生を感性で理解しているが、理性では理解していないのだ。これを図示すると図の左上になる。

(人間って不思議で、できることでも説明できなかったりするんです。具体的な状況が与えられたら正しく対応できるのにね。)

また、私が普段提唱している「人生は幸福最大化ゲーム」という捉え方は右下にある。理性で理解しようとする反面、情緒をゴミ箱に捨てている。

 

私が想定する成長スタイルは赤矢印の通りだ。

f:id:D231618130:20201206134713p:plain

一般に人生は感性で理解することになっている。すなわちオタクからマイルドヤンキーへの道だ。しかし、私のように理論から学ぶことが得意な人間は、この軌跡ではモチベーションが保てない可能性がある。原理原則が分からないまま「経験から学べ」と言われても困る。まず理論を学び、次に実践に応用するという手順を踏みたい。このあたりの詳細は下の記事を参照してほしい。

 

私が提唱するのは人生を理性で理解することだ。これは図の左下から右下に移行することを表す。暫定到達地点は「人生を理性で体系的に理解している状態」だ。そのベースにあるのが「人生は幸福最大化ゲームであることを理解し、その変数である認知や行動を制御しましょう」という思想だ。これによりモチベーションが保たれやすく、学習効果が上がりやすくなると考えている。

しかし、人生を理性で把握するのは邪道かもしれない。やはり人生や人間関係の本質は情緒だ。対人関係をスキルでハックするのは、必要な場面があるにせよ理想的な姿ではないだろう。そこは疑いようがない。その意味で、幸福最大化ゲームは通過地点なのである。ここで止まらずに図の上方に向かわねばならない。それが私の理想だ。やはり感性が本質的に重要だ。ただし、それを獲得するには一時的に理性をフル稼働させた方が良いというのが私の持論である。