「介護の生産性向上」は「新しい死に方」への布石と捉えるべし

介護の生産性向上を報じた新聞記事が炎上した。ツイッターには「介護に生産性を求めないで」というハッシュタグができている。

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「介護現場の実態を熟知してからものを言え」との意見はもっともだ。介護に生産性を持ち込む姿勢を人間性の観点から批判したくなるのも分かる。その一方で、日本がおかれた事態は深刻だ。今後ますます高齢化が進む社会において、貴重な労働力を医療福祉介護という単一のセクターに割くことには限界があるし、割くべきでもない。2060年には高齢化率が40%に達するのだから(今の若者はまだ生きている、高齢者として)、医療福祉介護の機械化やIT化を推進し、一人のケア労働者が楽に多くの被介護者を担当できるようにした方が良いだろう。

むろん人間性が欠けることが懸念される。「機械に介護されるなんて嫌だ」と言う人もいるだろう。だからこそ、人間性と生産性を両立できるような介護のあり方を考えるべきではないのか。人間のケア労働者にしかできないこともあるだろうが、機械ならではの介護のあり方だってあるだろう。コロナ禍で活発化したオンラインコミュニケーションのように、離れて暮らす家族と会話しやすくすれば良いだろう。被介護者同士をつなげるサービスもできるかもしれない。また、今後の技術開発により、物理面・感情面とも配慮が進んだ介護機器が開発されるかもしれない。AIとの会話がより感情に寄り添ったものになるかもしれない。むしろ高齢プログラマが被介護者視点を活かした被介護者向けアプリを開発するかもしれない。未来の高齢者は情報通信機器を当たり前に使いこなすのだから、人間のケア労働に頼らない「新しい幸せな死に方」を模索すべきではないか、と思う。