認識レベル論

f:id:D231618130:20201010194915p:plain

 

理解度には3つの段階がある。レベル3の人は目の前の物事を理解できている。新入社員が会社の役職体系を既に把握していたり、仲良くしたい人の気持ちを理解していたりする状態に相当する。

レベル2と1の違いは何か。それは、問題のありかを認識できているかどうかだ。レベル2の新入社員は役職体系はまだ知らないが、役職がどういうものかは分かっている。だから上司や先輩に「この会社の役職体系はどうなっているんですか?」と聞くことができる。同様に、レベル2の人は「人と話すときは言葉を表面的に見るだけでなく、相手の心に着目して話を聞かねばならない」という認識がある。だから(あの人の気持ちが分からない)と悩むことになる。

ではレベル1とはどういう状態か。役職がどういうものか理解できていなかったり、人と話すときは心に着目すべきということが分かっていない状態だ(ちなみに後者は過去の僕だ)。レベル1の人に「課長に話を通す前に係長に〜〜〜」と声をかけても効果は期待できない。同様に、「あの人がどんな気持ちだったか分かる?」と言ってもたぶん意味がない。それ以前の問題だからだ。

一般に「分かっている」とはレベル3を指し、「分かっていない」とはレベル2と1を指す。しかし、レベル3と2はそれほど離れていない。レベル2の人は知識を与えれば比較的容易にレベル3に移行することができる。本当に溝が深いのはレベル2と1の間だ。レベル1の人は「そもそもそういう発想がない」から何をしたらいいか分からない。そしてそれは周囲だって分からない。だってまさかそんなことでつまづいてるなんて思わないでしょう。だからレベル2の人向けのアドバイスをレベル1の人にしてしまいがちだ。世の中にはレベル1の人向けのアドバイスが少ないように感じる。「常識」「当たり前」「それぐらい知っとけ」「厳しい」なんて言葉で片づけてしまいがちだ。

 

f:id:D231618130:20201010200332p:plain

 

同様の構図は問題解決にも当てはまるかもしれない。レベル3の人は問題を解決する力がある。レベル2の人は自力では問題を解決できないが、問題があることは認識しているので人に頼ることができるかもしれない。問題はレベル1の人だ。問題があることにすら気づいていない。

最近これを感じたことがある。これまで「己に影響しない限りは人の人生に干渉しない」ことをポリシーにしてきたつもりだった。さらには、自分に影響がないのに人の人生に首を突っ込もうとする人を(分かってないな)と見下すことすらあった。ただ、これは自分がレベル1だった。僕は確かに人の人生には干渉しないかもしれないが、人の研究には普通に干渉していることに気付いた。なのに人の人生には干渉しない。研究は興味あるが人には興味がないからだ。人に興味がないから無関心でいただけだったのだ。これは人に興味を持った上で相手を「個」として尊重することとは大きく異なる。天と地ほど異なる。自分に問題があることすら分からずに、自分がレベル3だと自惚れていたのだ。

レベル3とレベル1は当人からすれば似ているのかもしれない。レベル3の人がレベル2の人に向けて言った言葉をレベル1の人が聞くと、「俺は大丈夫だ」と思うかもしれない。問題の所在を認識してないからだ。まずは悩めるようになれ、話はそれからだ。